
晴れ 最高気温:-1.9℃ 最低気温:-11.0℃
私が農協連の職員時代に9年間過ごした
中標津で、
暴風雪で出来た吹きだまりに車が突っ込んで動けなくなり、
一酸化炭素中毒で4人が亡くなった悲しいニュースが流れている。
現場は私の
中標津のログハウスから北側の防風林を越えたところで、
あそこは大荒れの日の吹きだまりがものすごく、
また、暴風雪の中、歩いていける範疇に農家さんがいないので、
私は絶対通らないようにしていた道道。
中標津のログハウスの北側の防風林から北は、
冬の大荒れの日はまさに別世界で、行かない方が良い。
中標津市街からそのログハウスまでは来れても、
そこから先の北側には行けないという事が時々あった。
ちょうど山からの距離や防風林の位置が恵まれていたんだろう。
あと縦線はあまり吹きだまらないけど、横線が吹きだまるので、
いかに横線を風の少ないルートを選択するかが大事。
中標津からログハウスまでなら、
大荒れの日は
中標津空港方面からだとまず帰れないので、
そんな時は必ず西町を経由し、
りんどう園から先の登り坂手前で左折して34線に入って北上すれば、
大概帰宅出来た。
私は元々北海道人ではないけれど、
暴風雪と吹きだまりの恐怖は中標津で何度も経験し、
身をもってその危険性は刷り込まれている。
私は農協連の職員をしながら、
郊外に離農跡地を取得して伴侶として
馬を飼う生活をしていたため、
基本的にはどんな天気であろうと出社していた。
ただ、2004年1月14~16日だけは別で、
今回と同じように根室沖で爆弾低気圧が発達して停滞し、
ものすごい暴風雪が続いた悪夢のような3日間があった。
出社したら帰れなくなるのは間違いないと思えるような状況だったので、
さすがに有給休暇を取らせてもらおうかと電話したものの、
何が何でも出てこいという事だったので、
すでに通行止めになっている道を苦労しながら出社。
でも出社後1時間ほどしてあまりに酷い天気になってきたため、
全員退社するように言われてとんぼ返りする羽目になった。
ところがもうすでに道は2~3mほどの吹きだまりがあちこちに出来、
心配していたとおり自力では帰れない状況に。
いつも荒れた日に通る安全ルートですらこの時は危なっかしい状況だったので、
吹きだまりが酷いところは毎回同じで風の通り道で凹んだ箇所であり、
吹きだまりがなるべく少なく、
なおかつその吹きだまる箇所の近くに農家さんがいるルートを選んで、
吹きだまりにはまるのを前提に家路についた。
もちろん車内には除雪用のスコップに牽引ロープ、
そしてそれでも吹きだまりにはまってどうしようもなくなった場合、
エンジンを切らなければ一酸化炭素中毒で死んでしまうので、
冬用の羽毛寝袋を積んでいた。
案の定、巨大な除雪車ですら立ち往生している猛吹雪で、
どこまでが道路かを示す↓標識も全く見えないホワイトアウト。
それでもたまに風が弱まるので、そのタイミングで少しずつ進み、
想像通り突破できない吹きだまりに至っては農家さんに助けてもらい、
それを3度繰り返して、普段15分の道中を3時間かかって帰宅できた。
その時の教訓から、荒れるという予報が出れば天気図は必ずチェックし、
北方領土近辺で低気圧が発達して停滞しそうな場合は外出しない、
どうしても出かけなければならないのであれば、
スコップ・牽引ロープ・寝袋の3種の神器を車に積んでおくようになった。
まああの時は防風柵の上を乗り越えて吹きだまりが出来る状況で、
3m程度の吹きだまりの壁があちこちに出来、とにかく酷い年だった。
ちなみに写真はその酷い冬だった2004年、2月1日の、
当時の中標津の我が家(
馬と
馬小屋、そして
猫)。
当時は重機も持ってなかったのでスコップで頑張って除雪していたけど、
自分の背丈よりも雪壁が高くなり、あんな年は無かったと記憶している。
もともと中標津を含め道東の太平洋側は雪が少ないだけに、
ドカ雪が降って大変というよりも、
風による地吹雪と吹きだまりの方が恐ろしい。
北海道の人であっても市街地に住む人はあまりその認識がないし、
日本海側と太平洋側では気候が全く違う。
いずれにしても冬に田舎道を走るときは、
天気図のチェックと準備を怠ってはならないと思う。
ただ上士幌は、他の太平洋側の地域と同じく、
冬型の気圧配置による北西の季節風で雪が降る事は少ないだけじゃなく、
南
十勝に大雪をもたらす南岸低気圧の影響も少なく、
今回のような根室・網走地方に大雪をもたらす、
北方領土近辺で発達する爆弾低気圧の影響も少ないという、
とても恵まれた地域なのかもしれない。
今回もとても穏やかで、大して雪も降らなかった。