時々、
馬を飼う事についてメッセージを頂くので、
自分なりの考え方を書いておきます。
参考になさる方は大いにしてくださって結構ですし、
それは違うと思われる方はそれはそれで結構です。
今までも何度か同じ内容で書いているので、
かつて読んだ事がある方はどうぞスルーして下さいませ。
馬を飼う事に限らず、
あらゆる動物を飼う事はその動物の命を預かる事です。
それらの動物の生態を理解しようとせず、
自分の、人間の尺度で全てを判断しようとするなら飼わない方が良いかと。
動物達は自分の意思であなたに飼って欲しいと思ってはいないのです。
つまり、飼う以上は、その動物の視点に立ち、
人にとっての幸せではなく、その動物にとっての幸せを考えるべきなんですね。
では
馬を飼うためには何が必要になるでしょう?
まずは
馬の生態をちゃんと学ぶ事から入るのが筋で、
ただ可愛いね、楽しいねでは、
馬は不幸になるだけです。
ちなみに犬の飼い方や猫の飼い方などの本がいくつもありますが、
それらの生態から書かれている本がないというのが不思議です。
日本はペットに対しての考えが甘い証拠でしょう。
馬の飼い方についても同様ですね。
乗馬倶楽部や競馬関係の馬の飼い方は本来ではない事を肝に銘じ、
自分なりの馬の飼い方を模索すると良いと思います。
日本では色んな方面で活躍している馬がいますが、
結局は経済動物としての馬がほとんどを占めているのが現実です。
別に伴侶としての馬以外を認めないつもりはないです。
産業として馬に関わるものがある事は悪い事ではないですし。
ただ、家畜としての馬にだって、
より良い環境で飼ってあげるというのは大事です。
ただ、より良い環境というのは、あくまで馬にとってであって、
人間にとってではないという事が大事です。
乗馬倶楽部の立派な施設は人にとっては快適かもしれませんが、
馬にとっては固い地面で足に負担をかけ、
そして狭い馬房に閉じ込められるという最悪の環境です。
馬は広々とした土地でのんびり草を食むのが幸せであり、
そこに人が介入しすぎると、逆に馬を不幸にしてしまいます。
寒さに対する感受性だって人とは全く違います。
馬は氷点下20℃までは寒冷ストレスを受けない事が分かっていますが、
人はつい過保護にし、馬着を着せ、
見苦しいからという理由で冬毛を伸ばさないようなところが多いです。
それは馬にとってはありがた迷惑な話なのです。
それを突き詰めていくと、馬は外敵のいない野生状態が理想となります。
ただ、人の伴侶としての馬というのであれば、
それでは全くもって飼っている意味が無いかもしれません。
だから、馬の幸せを阻害しないで、
かつ、人と共存という道を模索する事も大事でしょう。
普段は放牧して、朝晩、若干の栄養を補給するため飼いつけをしたり、
ブラッシングをしたりする事でスキンシップをはかるのが大事ですね。
さて、馬とはどういう動物なのでしょう?
一番重要なのは、「草食」で「群れをなす」動物だという事です。
これを頭に入れておかないと全てがおかしくなります。
草食動物ですので、基本的には草以外の餌を消化できる内臓を持ってません。
なので、トウモロコシや麦などの濃厚飼料を与える場合、
その量には細心の注意を払ってやるべきです。
それに自信がないのであれば、草だけで馬を飼いましょう。
つまり、十分広い草地に放牧してやればこういう問題は考えなくていいのです。
ただし、その草地を人が作り出したものであればちょっと話が変わってきます。
草は草でもマメ科牧草主体の草地はトラブルの元です。
イネ科牧草主体の草地である事、出来るなら自然のままの草地が理想です。
自然のままの状態とは、雑草だらけで見苦しいかもしれませんが、
馬にとっては栄養バランスの取れた優れた土地なのです。
北海道の根室にユルリ島という無人島があり、
そこでは1頭の種雄馬と20頭の雌馬が群れとして野生で生活し、
もちろん年中放牧状態、そして自然繁殖をしています。
人は年に1回、子馬を間引いて市場で売却するのと、
4年に1回くらい、近親交配を避けるために種雄馬を入れ替えるだけです。
冬になっても雪の下で枯れずに青々とした笹が茂ったりしているからこそ、
年中放牧されていても餌に不自由せず彼らは雪を掘って生きるのです。
そういう土地が無い場合、仕方なく購入飼料に頼る事になるわけですが、
基本的に摂取エネルギーの半分は草でまかなわなければなりません。
草というのは青草でなくとも乾草でも構いませんが、
輸入乾草やヘイキューブといったものは、
見た目青々としていて素晴らしいように思うかもしれませんが、
あれは単に人工的に緑色に着色しているだけで良い物ではありません。
使うならそれを踏まえて使ってください。
乾草は場所をとりますが、国産の乾草の方が質は高いでしょう。
さらに草食動物というのは肉食動物と違い、
圧力がかかった際に逃れようとする傾向があります。
馬を調教する上では、この特性を利用するのもまた効果的です。
つまり、何らかの圧力をかけて逃げた先が、
結果的には人の望む行為にしてしまえば良い、という事です。
次に群れをなすという事は信頼関係を築く上で、
絶対見過ごす事は出来ない特性です。
他の動物で言うと、犬は群れをなしますが猫は群れをなしません。
群れをなさない動物は、利害関係なくして人との関係はありませんが、
群れをなす動物は、同じ群れを構成する馬・人との関係を大事にします。
そう、群れをなす動物というのは、
普段接する人も含めて一つの群れとして考えるのです。
馬と人とが共存し、馬だけじゃなく人も心を許せるようになるためには、
人がその群れのリーダーとして認められなければなりません。
ちなみに馬の認めるリーダーとしての資質としては、
群れの安全を保障し、厳格なる一貫性と深い愛情が求められています。
つまり、単純に暴力による上下関係という意味ではなく、
あくまで信頼関係に基づいた上下関係を築かなければならないという事。
もし、人が馬からリーダーとして不適格だと判断されれば、
馬は率先して人の指示はきかなくなります。
怒られるのが嫌だから、しぶしぶ従っている状態でしかないわけですね。
そんな状態だから、何か人に隙があった場合、反抗する原因となります。
最後に、愛情と過保護を勘違いしている人がしばしばいます。
そして虐待とは単純にその動物を痛めつける事だけが虐待ではなく、
ある意味、過保護というものも虐待の一種だと私は思っています。
過保護にする事で馬本来の持つ免疫や抵抗力を低下させ、
人のわがままを馬に押し付けて喜んでいる。
そういう人は馬を自分の道具としか捕らえていないんですね。
馬がどう思っているかというのを、馬の立場になって考えられない。
あくまで自分の価値観を強要し、擬人化してしまっています。
馬と人とは全く別の品種だと認識すべきでしょう。
馬が人より上の立場で、馬が人を飼う状況だったとします。
人を理解しようとしない馬は、人に対し牧草だけを与え、
氷点下20℃までは寒くないから服は着せないという状況になります。
人は草食動物ではないので、草だけという餌は苦痛ですし、
人は馬ほど寒さに強くない上、体毛が無いに等しいため、
服なしに氷点下20℃の中に放りだされたら死んでしまいます。
固く冷たい独房に閉じ込められ、利用される時だけ外に出される。
そんな囚人のような生活にあなたは耐えられますか?
つまり、異品種の動物同士が共存し、お互いに理解しようとするならば、
少なくとも上の立場の動物である人間が、飼う動物を知らねばなりません。
馬だけの話ではなく、犬や猫の飼い方、
そして突き詰めれば自分の子供の育て方にまで発展する話ですね。
常識とされている事が必ずしも正しい事ではないですし、
その辺は自分自身と愛馬との対話でより良い道を模索すべきです。
馬の事は馬に訊く、馬が一番の先生です。
特に、日本の馬に対する考え方、飼い方の常識なんてものは、
間違いだらけだと個人的には思っています。
経験はあるに越した事はないですが、
それよりも、常に馬の目線に立ってやれるかどうかが大事なのです。
馬を飼う環境というのも、人の都合を押し付けるのではなく、
馬の生活環境を優先して考えてやらねばなりません。
街中で何とか馬を飼おうと努力するのではなく、
馬が幸せに暮らせるよう田舎へ移住する、
それくらいの覚悟はあって然るべきではないでしょうか。
私の唯一の自慢は、馬を飼い始めて7年間、子馬も生産してきましたが、
一度も馬を病気にしたことがなく、
一度も獣医師のお世話になったことがない事です。
馬も人も、健康である事が一番の幸せであるはずでしょう。