晴れ時々曇り
朝、アキちゃんと共に愛馬と触れ合った後、
奥尻島をあちこち案内する。
まずはやはりここは外せない、津波館へ。
1993年7月12日22:17、
北海道
奥尻郡
奥尻町北方沖の日本海海底で発生した北海道南西沖地震。
マグニチュードは7.8、推定震度6(烈震)で、
日本海側で発生した地震としては最大規模だったそうで、
島の北端の稲穂地区では地震から約3分後、
南端の青苗地区でも地震から約5分後に大津波に襲われ、
奥尻島では行方不明者も含め、198名もの尊い命が犠牲になった。
多くの家屋が倒壊、流出すると共に、青苗地区では火災も発生、
その惨状たるや凄まじかったそうだ。
ちなみに西海岸の藻内地区では30m近い高さの大津波に襲われていて、
津波というものがいかに恐ろしいか、この津波館は伝えている。

この津波館のすぐ傍には時空翔という慰霊碑があり、
地震のあった7月12日、夕日が石碑のくぼみに沈むように作られている。
青苗の食堂「潮騒」で昼食をとった後、西海岸へ。

無縁
島の見える藻内海岸。
この地区が最も高い津波に襲われたところでもあり、
津波の到達点の標識が山の上の方に建てられている。


ホヤに似ているからという理由で名付けられたホヤ石。
すぐ傍にはホヤ石の滝があり、水が豊富でキャンプするにも良いところ。
水があるというのはありがたい事だ。


モッ立て岩、カブト岩など、西海岸には奇岩が多い。
そして北追岬へ。

北追岬から見た神威脇地区。
神威脇には神威脇温泉という温泉があって、良いところだ。
ここから北追岬の散策路を歩く。

あまり手入れがされておらず、少々歩きにくい散策路を行くと、
ずぼら洞という洞窟のようなところがある。

15分程歩くと北追岬キャンプ場に着く。
ここは夕日が綺麗に見れるスポットで、もちろん無料。
奥尻島には有料のキャンプ場など無く、
ある意味、
島全体が無料のフリーサイトのような状態。
特に浜はどこででもキャンプが出来るし、
もちろん焚き火なども普通に出来る。
そういう意味ではとても大らかであり、キャンプ天国でもある。
いつまでもこの素朴さは失わないで欲しい。
本来であればこのまま北上し、山を越えて東側へ抜けられるんだけど、
8月から土砂崩れの恐れありという事で、山越えルートが通行止め。
というわけで、一旦また西海岸を南下して戻り、
南端をグルッと周って東海岸を北上する。

海水浴場であり、キャンプ適地でもある東風泊。
シャワーや休憩室もあるし、
砂浜にテントを張るととても快適なキャンプが出来る。
いったいここで何度キャンプした事か、それくらい好き。
夜は漁火や月光が美しく、焚き火をしながらぼんやり過ごし、
翌朝、朝日が北海道本土から昇ってくるのを見て、日中は海で泳ぐ。
まさに楽園。

宮津弁天宮へ。
急な階段を下り、そして上り、ようやく到達する。

宮津弁天宮の脇にある浜で海に手を突っ込み、写真を撮る。
外は大分涼しくなったけど、海水はまだまだ温い。

島の最北端、賽の河原。
ここもシャワーがあり、キャンプ地になっている。
ただ、常に風が強く、テントを張る場所を選んだ方が良いと思う。

島で3番目に高い山、珠島山。
この山頂が展望台になっていて、島の3分の1が見渡せ、
対岸の北海道本土ももちろん見える。


珠島山にたくさんあるハマナス。
ちょうど花がほぼ咲き終わり、実がたくさんついていた。
このハマナスは野生のバラであり、
西洋のドッグローズに対して、東洋のハマナスとも言われる。
だから花はバラのとても良い香りがし、
実も所謂ローズヒップなので、ジャムやお茶になる。
あえて西洋のドッグローズを植えたりしなくても、
こうして日本の風土に根付くハマナスでローズヒップは得られるのだ。

珠島山からまた宮津へと下りてくると、途中、牧場があり、
奥尻和牛(褐毛和種)が放牧されている。
奥尻島はウニ、アワビ、イカなどの海産物の宝庫だけど、
一方、稲作、畑作、畜産、
葡萄栽培など、
農業も盛んで、
自給自足も可能な素晴らしい島。
帰宅後は昨日と同じ、
カレーとカボチャのチーズケーキというメニュー(爆)。
気に入ってくれたようでなによりだ。