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朝日

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晴れ後曇り

とても暖かい一日で、最高気温も11.1℃まで上昇。
珍しく朝から晴れてる日だった。
奥尻は日本海のなので、冬はどうしても曇りがち、
朝日が昇ってくるのを見る事が少ないんだけど、今朝は見れた。
雨も降ったし、雪もほとんど融けてしまい、いよいよ春が近い事を感じる。

PSPケータイ?

晴れ時々曇り

ソニーエリクソンがPSPと携帯電話の機能を併せ持った携帯電話を開発中らしい。
理想を言えばUMDドライブを搭載した携帯であって欲しいけど、
そうなると端末そのものが大きすぎるだろうし、ダウンロード専用なんだろうな。
という事は、PSPgoの延長線上のものになってしまうんだろうか。
せめて外付けでも良いからUMDドライブを接続出来て、
PSPのソフトをPSPケータイのメモリーカードにインストールして遊べるとか、
そういう端末だったら欲しいかもしれない。
ただ、問題はバッテリーの持ち時間。
ゲームする事で肝心のバッテリーがすぐに無くなるようではダメだろう。
もういっその事、ソーラーパネルを搭載して、防水、防塵、対衝撃性を備え、
UMDドライブを外付けで接続出来る端末を頼む(笑)。

ズブロッカ

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曇り時々晴れ

ふとズブロッカというウォッカを思い出す機会があった。
ズブロッカとは、ウォッカにバイソングラス(ズブロッカ草)を漬け込んで、
香りや色を移したフレーバーウォッカのような酒。
実際に、ビンの中には1本のバイソングラスが入っている。
ポーランド産のズブロッカは、ウォッカよりもよく酒屋に置いてある事が多く、
意外とマイナーではないウォッカかもしれない。
ロシア産もあるけどあまり見かけないし、
アメリカ産のものは人工的に着香してある代物なので注意。
ズブロッカはバイソングラスの成分により薄い黄緑色をしていて、
独特の芳香があって個人的に嫌いではない。
アルコール度数は40度と高く、冷凍庫に入れておいても絶対に凍らないので、
大学時代は冷凍庫にズブロッカが常に入っていた(笑)。
アルコール度数にマイナスをつけた温度までは凍らないようなので、
氷点下40℃までは凍らないという事なのか、
ロシアでは車のウォッシャー液にウォッカを入れていると聞いた事がある。
このキンキンに冷やしたズブロッカを、
原液のまま小さなグラス1杯、クイッと飲むのが美味しい。
もちろん冷たい喉越しの後に、燃えるような熱さが体の内部から発生し、
飲み過ぎると、酷い事になるのは確定するお酒なので、
一度に飲むのはショットグラス1~2杯程度にしていた。
僅か数分の内にヘベレケにならないよう、気をつけましょう(苦笑)。

スーパー猫の日~22.2.22~

曇り後雨

今日、2月22日は「にゃんにゃんにゃん」で「猫の日」だそう。
しかも今年は平成22年である事から、H22.2.22という2のぞろ目になり、
記念切符や郵便日付印のために行列が出来ていたんだとか。
日本人ってこういうので縁起が良いと解釈して殺到するんだから、
何とも平和な国だなぁと思う。
私は単純に、「にゃんにゃんにゃん」が、
「にゃんにゃんにゃんにゃんにゃん」という日になったという事で、
猫パワー炸裂の日だという解釈に落ち着いた(笑)。
とはいえ、エノコロに特別な何かをしてあげたという事は無い。

トマトとバジルのハーフ&ハーフ

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曇り時々雪

夏に収穫してペーストとして冷凍保存してあったトマトとバジル、
そして先日作って同じく冷凍保存してあったピザ生地を使ってピザ作り。
トマトペーストとバジルペーストを生地の上に半々に塗り、
とろけるチーズとソーセージを載せてオーブンで焼くだけ。
シンプルだけどこういうピザって美味しいですよね。
トマトもバジルも、夏に大量に収穫出来るから、
こうしてペーストとして冷凍保存しておくと何にでも使えます。

福徳岡ノ場にて新しい島?!

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赤く尖っている部分が南硫黄島、その右上の赤い部分が福徳岡ノ場。

東京から南に1,300km、南硫黄島の北北東約5km、
福徳岡ノ場と呼ばれる海底火山にて噴火が起こっており、
もしかしたら新しい島が形成されるのではというニュースを見た。
福徳岡ノ場とは、直径10km、高さ2000mを超える北福徳カルデラの中央火口丘で、
南硫黄島は、そのカルデラ縁にできた寄生火山のようなものなんだとか。
福徳岡ノ場では、20世紀には行ってから、
1904年、1914年、1973年、1974年、1986年、1992年、2005年と、
7回の噴火が起こっており(今回が8回目の噴火)、
この内、1904年、1914年、1986年には実際に新島も出現し、
「新硫黄島」と命名されたものの、波浪によっていずれも消滅してしまったとか。
特に1914年の際には、高さ300m、周囲11.8kmという大きな島に成長しており、
波浪による侵食で無くなってしまうまで、約2年間存在していた。

一般的に、火山礫が堆積しただけの火山島は、
太平洋の荒波によって簡単に侵食されてしまうらしく、
火山島として半永久的に残る為には、ハワイなどがそうであったように、
溶岩が噴出し、堆積している火山礫が火山本体に溶着しなければならないそう。

専門家によると、今回の噴火で新島が出現する確率は五分五分、
しかも近年、海底隆起で周辺水深が22メートルまで浅くなっているらしく、
安定した島になる可能性は充分にあると言う。
もし、安定した「新硫黄島」が出来るとしたら、
そこは日本の領海内であり、無条件に日本の領土となる。
今後の経過が楽しみだ。

佐藤琢磨IRL参戦へ!

曇り

元F-1ドライバーで、復活の道を模索していた佐藤琢磨、
なんと2010年からはF-1ではなくIRLに挑戦、
KVレーシングに所属し、インディカーシリーズを戦う事となったそうだ。

前々からインディへの挑戦は口にしていたので、
それほど驚く事ではないかもしれないけど、
当初噂になっていたチームとは違っていた事にまず驚き、
そして、KVレーシングの共同オーナー、
ジミー・バッサー氏とケビン・カールコーベン氏がいかに琢磨を欲していたか、
それがよく伝わり、熱い気持ちになった。

琢磨は2010年F-1復帰を目指し、ロータスやルノーといったチームと交渉し、
最終候補まで残ってはいたものの、いずれも契約には至らなかった。
F-1は金のかかるスポーツであり、
また、チームによるマシンの出来で大きく成績が左右される事から、
ドライバーの実力よりも、持ち込める資金力が優先される事が多い。
2004年のB・A・Rチームのドライバー時代は、アメリカGPで3位表彰台に立ち、
2007年の非力なスーパーアグリチームのドライバー時代は、
オーストラリアGPで予選10位、
スペインGPで決勝8位でチーム史上初のポイント獲得、
さらにカナダGPではトップドライバーのアロンソを追い抜いて6位になるなど、
非凡な才能を持っている事に違いは無い。
もし琢磨がトップチームに所属し続けていられたら、
おそらくワールドチャンピオンを争う事も出来ていただろう。
結局のところ、大きな後ろ盾(スポンサー)を持たない琢磨は、
日本の不況も相まってF-1のレースシートを失う事となったわけだ。

佐藤琢磨は子供の頃から英才教育を受けたわけじゃなく、
大学を休学してまずはカートを始め、モータースポーツ歴わずか半年で、
鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラの選抜方法を変えさせてまで、
競争率10倍の難関を突破して入学を果たし、
時には講師陣さえ上回る速さを披露し、1997年首席で卒業。
2001年には、F-1の登竜門であるイギリスF3選手権において、
日本人初となるチャンピオンを獲得し、自らの力でF-1への扉をこじ開けた。
そしてF-1の次の舞台に選んだのはIRL。
今のIRLは、全てのチームが同じエンジン・シャシーを使用し、
実質ワンメイクのような状況。
チーム間のマシンにあまり差が無く、
実力さえあれば誰もが勝利を手にする可能性がある。
何より、イギリスF-3時代や、F-1スーパーアグリ時代のように、
KVレーシングが琢磨を必要としているというのが好ましいと思う。
仕事だって必要とされないとモチベーションが上がらないように、
いくら実力があっても、チーム側に受け入れる熱意が無ければ結果は出ない。

琢磨は今回、私の誕生日でもある2月15日にサプライズを受けたそうだ。
なんと、「琢磨を乗せたい」とするKVレーシングの粋な計らいにより、
当初予定していた他のドライバーによるテストプログラムをキャンセルし、
フロリダのセブリングサーキットと交渉、
そこでKVレーシングのマシンを駆り、1時間強のドライビングを体験したとか。
たった1時間で、他のドライバーと遜色ないタイムを叩き出し、
二人のオーナーは琢磨の速さを大絶賛していた。

インディカーシリーズのレースの中でも、
決勝当日だけで40万人を集め、
世界最大規模のレースイベントと評されるインディ500や、
母国日本、ツインリンクもてぎで開催されるインディジャパンといった、
大きな衝撃と興奮を得られるレースが組み込まれている事だけじゃなく、
琢磨が第一志望としていたF-1復帰、
その交渉の結果が出るまで待ち続けてくれたKVレーシングの熱意と、
実力さえあれば勝てるというIRLの特徴もあって、
IRL移籍を決意したのではと思う。

佐藤琢磨はクリーンでアグレッシブなドライブをし、
チームのスタッフを惹きつけるカリスマ性を持っている。
自分の事を棚上げして他のドライバーをけなしたりしないし、
自分の運転するマシンの力不足でもチームのせいにしたりはしない。
他人から何を言われても、理不尽に叩かれても、ジッと耐えている。
そして大きな夢を抱き、それを叶える為に努力するだけじゃなく、
周りへの配慮を忘れず、笑顔を絶やさない、謙虚で熱い人。
好感度が高く実力もあるが故、逆に妬みや僻みから叩かれる事も多いけど、
彼の前向きでひたむきな姿は大好きで、いつも応援している。
IRLで大暴れする琢磨に期待したい。

ポーレの削蹄

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曇り一時雪

一昨日の日曜日、ポーレが下山した際に右前蹄を鉄ヤスリで削ってやった。
我が家では削蹄を誰かに頼む事は無く、
蹄の形を見ながら適当に鉄ヤスリで削ってやるのが常。
放牧主体で飼う上では蹄鉄を履かせる必要も無いため、これで充分。
ただ、私自身の腰が痛いがために、一気に全ての削蹄を終わらせる事は出来ず、
この日は右前蹄のみとなった。
時間がある時に残りの蹄を1つずつやってやれば良いし、
年に4回位削ってやっていれば充分美しい蹄を維持出来るのだ。

アイスキャンドル作り

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曇り

先週は氷点下10℃を下回る日が続いていたので、
こんな時はアイスキャンドルも作れるだろうと、バケツに水を張っておいた。
翌日、バケツをひっくり返し、氷を取り出して水を抜き、
その氷の中で蝋燭を灯すとアイスキャンドルに。
中標津にいた頃は、
冬は氷点下10℃を下回る日が当たり前だったのでたくさん作ったものだけど、
奥尻ではなかなかそこまで気温が下がる事も無いため、あんまり作れない。
今年の冬は寒いおかげで、こういう事も出来ましたとさ。

北方領土の日

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晴れ後曇り

充実した一日だった。
午前中はピザ作り、午後からはレザンの調馬索とソリ滑り。
他にも、鹿肉を処理したり、アイスキャンドルを作ったり、
色々やったわけですが、とりあえずこれらの事は後日書きます。
というのも、そう、今日は「北方領土の日」なのです。
毎年毎年この日記に書いているので、ずっと見てくれている方はうんざりでしょうか?

今の日本で一番解決しなければならないのは、
この北方領土問題だと私は思っています。
国土というのは国家を形成する上で基本です。
その国土が確定していない、不法占拠されている状況というのは、
とても不安定で、なおかつ国家の存亡に関わる問題です。
この事に関して世論が盛り上がらないのは、平和ボケしてるんでしょうね。
あと、学校教育もおかしい。
社会科の授業の中でほんのちょっと触れられるくらいでは、
北方領土問題についてよく分かってない大人が増えるのも当然でしょう。
私も、この問題のお膝元である根室支庁管内に住んでいたからこそ、
いかに大きな問題であるか、
そして理解されていない問題であるかを痛感したわけで、
受験に受かる事に偏重してしまった今の学校教育に疑問を抱いたものです。

今の日本国民に、北方領土の地理や歴史について、
ちゃんと答えられる人がどれくらいいるんでしょう?
下手をすれば、北海道の東の果て、根室半島の沖合にある事すら知らない、
択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島という北方四島の名前すら言えない、
そんな人が多いんじゃないでしょうか。
これら北方四島の面積の総計は5,036平方キロで、
沖縄県の約2.2倍、愛知県とほぼ同じくらいの面積を誇り、
しかも、四島のうち国後島、択捉島は、いずれも沖縄本島より大きく、
特に択捉島(3,184平方キロ)は鳥取県と同じくらいの大きさがある。
もっとも近い歯舞群島の貝殻島までは、
北海道本土からわずか3.7キロしか離れておらず、距離的にもとても近く、
国後島や歯舞群島は、肉眼ではっきりその島影を確認できる。
かつて北方四島には1万7千人の日本人が住んでいて、
色丹島には色丹村が、国後島には泊村と留夜別村が、
そして択捉島には留別村、紗那村、蘂取村といった村々があった。

今はこの北方四島を返還して欲しいという主張がメインであるものの、
全千島列島は、「樺太・千島交換条約」で平和裡に手に入れた領土であるから、
外国の領土となることは、
領土不拡大をうたったカイロ宣言に反する不当な戦後処理であったという理由で、
北方四島だけじゃなく、全千島列島を返還すべきという主張や、
「日ソ基本条約」を根拠に、全千島列島および南樺太も返還すべきという主張がある。
いずれにしても、この問題を次の世代にまで引きずる事無く、
一刻も早い解決を期待したい。
今の民主党鳩山政権で一番評価している部分は、
この北方領土問題を解決したいと強く主張しているところかなと思う。
今までの政権は、そんな問題があったのかを忘れているかのようだったので、
改めて認識する上でも大事な事だったかなと。
ロシアは日本に最も近い隣国。
日ロ間の本当の友好関係を築く上でも、この問題の解決なくしては前へ進まない。
何とか返還の道筋を付けて欲しいものだ。

暴風雪



かなり風が強く、吹雪となった一日だった。
車を運転していても、時折、視界が白一色となり、
方向・高度が識別不能となるホワイトアウト状態になる。
まあ道東の中標津にいた頃はもっと怖い思いもし、
数メートルもの高さになって道を塞ぐ吹き溜まり、
そして巨大な除雪車も立ち往生する程のホワイトアウトによって、
前の愛車のパジェロをもってしても職場から帰宅出来ない事があったものだ。
そもそもかなりの高さまである暴風柵(防雪柵?)を乗り越えて、
見上げる程の雪が吹き溜まるくらいなんだから。
それを思えば、奥尻は風が強くても雪そのものが少なくて、
命が危ないとまで思うような事態までには陥った事がない。
そういえば去年の今頃はフキノトウが出てきてたはず。
早く春がやってこないかなぁ・・・。

崖の上のポニョ

テレビでジブリ映画「崖の上のポニョ」をやっていたので観てみた。
途中で睡魔から意識が飛んだり、最後の方は観なかったんだけど、
何となく展開が分かったので勝手に納得(苦笑)。

この物語は、アンデルセンの童話「人魚姫」からキリスト教色を払拭し、
宮崎駿監督が作り出した、人々の思想に一石を投じる新たな「人魚姫」。
舞台となっている港町、そして崖の上に建つ家は、
広島県福山市鞆町の沼隈半島南端にある有名な観光地「鞆の浦」だとか。
宮崎駿監督が旅で訪れた鞆の浦をとても気に入り、
2005年の春、鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、
更に2006年夏、単身でこもって、本作の構想を練ったそう。
この宮崎駿監督の行動に対し、妻の出した条件は、
「生きてる証拠として、毎日絵手紙を出すこと」だったとか。

ポニョの本名である「ブリュンヒルデ」とは、
リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の、
主神オーディンと知の女神エルダの娘の名前が由来。
ちなみにポニョではないブリュンヒルデの愛馬は、
グラーネまたはヴィングスコルニル。
戦死した兵士をヴァルハラへ導く存在であるワルキューレの長女。
一方、「宗助」という名前の由来はというと、
夏目漱石の小説「門」の「崖の下の家にひっそりと暮らす野中宗助」から。

この映画が訴えたかったものは何なのか。
もし宗助が今の現代社会に生きる人間という立場だったら、
単に「好き」という感情だけでポニョの全てを受け入れ、
そして一生添い遂げるという決断が出来るかどうかという事。
子供の頃の気持ちなんて長くは続かないとか、
生活費を考えると非現実的とか、
他人に迷惑をかけてまで付き合えないとか、
そんなくだらない考え方で「好き」と言えない人が多いのではと。
一個人の好きという感情だけで世界をグチャグチャにしてしまったとしても、
他人への迷惑を顧みず、将来の不安なんて疑問にも抱かず、
「好きなものは好き」という気持ちを貫き、行動する事も大切なんだよと。
宗助もポニョも、お互いに好きで必要としているだけ。
その気持ちに正直に生きる事こそが大事であって、
世界がどうなろうが、将来がどうなろうが、全く気にしてはいない。
自分の目の前にいる存在が何より大事なんですよね。
大きく言えば世界や人類、小さく言えば会社や地域社会、近所付き合い、
これらをいくら気にかけたところで、
世界も人類も会社も地域社会も、自分の事をそれほど大切に思ってはくれない。
そりゃあ人間社会で生きる上で、最低限のマナーなんかは存在しますが、
周りの反応だとか、周りに迷惑をかけるとか、将来が不安だとか、
そういう事ばかりに気を取られていると、大切にすべき物事の本質を見失うよと。
それはもちろん恋愛だけの話ではなく、人生全てにおいて言えること。
夢を叶える事だって、現実的に考えれば何も行動に移せなくなるわけで、
色々思い悩む事も時として必要ではあれど、
シンプルに、やりたい事をやる、住みたい町に住む、
そういう気持ちに正直になり、行動していく事も必要だと私は思う。
せっかくこの世に生を受けているんだから、
ストレスをたくさん抱えて、何となく毎日が過ぎていくよりも、
死が訪れるその瞬間まで命を完全燃焼させ、
現代社会によって蓋をされている「自分の本当の気持ち」を今一度思い起こし、
自分に正直に生きていたいと思いませんか?

記録的に寒い立春

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曇り 最高気温-5.4℃ 最低気温-9.2℃

今日は立春、暦上は今日から春・・・なのに何でこんなに寒いのか?
一昨日より滅茶苦茶寒い。
一昨日は、最高気温-5.0℃・最低気温-9.8℃、
昨日は、最高気温-8.0℃・最低気温-13.0℃。
奥尻で最低気温が氷点下13℃って、気象データを10年以上遡っても出てこない。
もしかしたら過去最低、少なくとも数十年ぶりの寒さだと思う。
凍結により、家の「中」の水道配管のパッキンが割れて水漏れして、
洗面所が水浸しになるし、凄い寒さだ。
北海道の冬、家の中の温度は全国一高いというデータはあるけど、我が家は違う。
基本的に、灯油代の節約もあって、ストーブを点けるのは寝室のみ、
しかも夜寝る時と朝起きる時の1時間ずつしか点けないので、
いつも家に居ながら外と温度は変わらず、吐く息は白いのだ(苦笑)。
もちろん中標津時代は氷点下25℃とか普通にあったので、
それを思えばまだまだ暖かいんだろうけど、
奥尻という地理的条件を考えれば異常な寒さには違いない。
ホヤ石の滝の凍り方も凄いし、
海は海で、海水温よりも気温の方が低くなっているために「けあらし」が発生。
ちなみに北海道の山間に位置する占冠村では過去最低の氷点下34.4℃を記録したとか。
春のような大寒、そして厳寒の立春と、寒暖の差が激しい今年の冬。
何なんだ、この気候は・・・。

交通機関は馬と電気自動車のみ

曇り時々雪

高級リゾート地として知られるスイスのツェルマット。
名峰マッターホルンをはじめとした山や氷河へ通じる山岳鉄道の基地。
最寄の都市ヴィスプからツェルマットまで、
道路はあるものの、主要交通機関はあくまで鉄道。
雪深い土地のため狭い渓谷を縫うようにして走る道路は不便で、
またエンジン自動車の多用は排気ガスによる大気汚染を引き起こしてしまうため。
面白いのは、このツェルマットの交通政策にある。
ツェルマット市街地は自治体の条例により電気自動車と馬しか走れないと定められ、
市街地を走るのは電気自動車と馬車、馬のみ。

日本は、環境対策としてエコカーに力を注いでるけど、
エコカーばかり優遇するのではなく、馬も含めて考えてくれれば良いのにと思う。
馬は燃料として石炭や石油は不要だし、草さえあれば動いてくれる。
おまけに、とても優れた馬糞堆肥を供給してくれ、一石二鳥ではないか。
道路交通法上、馬は列記とした軽車両に分類しているんだから、
自然環境のため、そして資源の枯渇対策のため、馬をもっと推進して欲しい。
ツェルマットのような条例を立案する市町村が日本に出てくれば、
それだけで他の市町村には無い個性を打ち出せ注目度アップ、
環境に優しいだけじゃなく、馬を利用した観光促進にもなると思うんだけどな。

東風泊

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曇り時々雪

一昨日のドライブで立ち寄った東風泊。
早く春になってキャンプがしたいものだなぁ・・・。
やわらかい砂浜の上に建てたテントで、波の音を聴きながら眠るのはとても快適。
泳ぎたいし、七輪持ってきて焼肉したい(笑)。

レコ4DX

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曇り

冬の農作業や釣りなどのアウトドアをすると、よく足の指が凍傷になっていた。
普通の防寒長靴を買ったら買ったで、あんまり長持ちしてくれないので、
いっその事、質の高い防寒長靴を買おうと思い、
インターネットをしていて辿り着いたのが「レコ4DX」。
どうやらこれは冷蔵庫内作業用長靴だそうで、氷点下40℃まで対応している。
ゴム引きナイロントッピング+裏材に中綿入りキルティングライナーの重層構造で、
底冷えを抑えるフェルトを足裏部分に縫製しているとか。
先芯入りだから、馬に踏まれたりしても大丈夫。
ちょっと値段は張るけど、日常生活に直結している部分なので購入。
おかげで足指が凍傷にならなくなりました。