今回の旅のもう一つの目的、それは岩城島のレモン農家さんを訪れる事だった。
伯方島の東、愛媛県越智郡上島町に属する岩城島は、青いレモンの島として有名だ。
仕事を辞め、将来どうしようかと考えると、どうしても農家になりたいと思ってしまう。
奥尻島での葡萄栽培ももちろんだけど、この岩城島の柑橘栽培にも興味があり、
インターネットで辿り着いたブルーレモンファームのFさんにコンタクトを取っていたのだ。
みかんの栽培は子供の頃から身近ではあったけど、実際にどうやっているのかは知らなかったし、
国内でレモンが栽培されている事すら、あまり認識した事もなかった。
朝、テントをたたみ、出発の準備をする。
再びバックパックを背負い、昨日歩いてきた道を再び戻り、伯方島へ。
伯方島の木浦港まで約8kmを気持ち良く歩いた。
途中、鶏小島キャンプ場からは村上水軍の本拠地である能島が見えたり、
伯方島と鵜島の間の狭い海峡である、船折瀬戸を眺める高台からの景色はまさに絶景だった。
この船折瀬戸、その潮流の速さは船を折るほどといわれ、時速20km/h近いスピードがあるそう。
高台からも潮の流れがはっきりと分かり、まるで急流の川のように潮が流れていた。
昔はこの潮流に逆らって航行することは出来ず、
潮待ちの場所があって、潮の流れが変わるのを待って航行していたそうだが、
村上水軍や河野水軍がこの海域を牛耳って、瀬戸内を支配下においたのも、
この潮流を読み、たくさんの島がある複雑な海域を熟知していたからに他ならない。
テクテクと歩いていると、自転車で登校中の学生さん達が「おはようございます!」と挨拶してくれる。
やっぱり田舎、島に行くと、見知らぬ人でも挨拶をかわすのが当たり前になり、
純粋で無垢な、そして真っ黒に日焼けして元気いっぱいの子供達を見ていると、
こっちまで元気を分けてもらっているような気分になるものだ。
朝7時に見近島を出発して、ほぼ予定通り、9時に木浦港に到着。
今治~大島~伯方島~岩城島~佐島~弓削島と快速線が1日に10本近く往復しているとともに、
伯方島~岩城島~佐島~弓削島の区間のみ、「第五愛媛」というフェリーが数便運行している。
本当はこの第五愛媛に乗ってみたかった。
緑色で、なにやら全体が格子状のような独特のフェリーであり、
しまなみ海道が開通した事で、今治~伯方島は運行しなくなったとなれば、
波方島から岩城島へ渡るには、このフェリーに乗ってみたいと思うのもごく自然?!
ただ、フェリーは10:00発であり、その前に9:35発の快速船があった事から、
時間を有効に使うために、泣く泣く快速船に乗るという方法を取る事にした。
ブルーレモンファームのFさんに到着時間を伝え、いざ岩城島へ。
岩城島の桟橋に到着すると、そこには笑顔のFさんが待っていてくれた。
Fさんは元々京都のサラリーマンで、34歳の時に岩城島へ移住し、レモン農家となられた方だ。

7反の山(畑)で、レモン、みかん、サンチュなどを育てている。
実際に畑を見せてもらい、どういうやり方をしているのか、
そして農業への考え方などをお伺いする事が出来た。
北海道の農業と違い、規模は小さいけれど、
その分、手間隙をかけ、機械化や合理化はあまりされず、目の届く範囲で農業をやっている。
ただ、農業は趣味ではなく、生活していかねばならないため、
出来る範囲での効率化、そして何より営業努力はすごくされている印象を受けた。
農協に頼らず、自分で販路を切り拓くのは大変な事だろうけど、
やっぱり消費者の反応を見ながら営農するのは、大事な事なのかもと感じた。
そうそう、なぜ青いレモンなのか不思議だったけど、
レモンが黄色くなるには寒くならなければいけないらしく、
まだ暖かい時期に採れるレモンは完熟していても青いのだそうだ。
お土産に収穫したレモンやライムを下さり、「よし正」で昼食までご馳走になってしまった。
本当にありがとうございました。
そしてここでもう一つ大きな出会いが。
Fさんの紹介で、赤穂根学舎という取り組みをなさっているMさんとお会いした。
MさんはFさんとまた違った考え方で農業を考えている方で、
岩城島のすぐ近くにある赤穂根島という無人島で、自給自足の循環型農業を実践されている。

岩城港からMさんの所有する小さな船に乗せてもらい、いざ赤穂根島へ。
無人島に行ける機会などそうそうないので、これはまさにワクワクドキドキといったところか。
赤穂根島に到着すると、そこにはナンバーのない軽トラと、古いコンクリートの道、
そしてジャングルのようになっている鬱蒼とした島の緑が飛び込んできた。
その軽トラに乗せてもらい、まずは和牛を飼われている場所へ。

その和牛のいる風景を見て驚愕した。
我家のユウと同じように、ロープを張って自由に動けるようにし、和牛に雑草を食べてもらっているのだ。
こうする事で道路の維持管理をするとともに、嫌というほど茂っている雑草資源の有効活用だろう。
米も栽培していて、冬はその稲ワラを与えているため、餌代はゼロ円だそうな。
とても可愛がっているらしく、人懐っこい和牛達だった。
和牛、みかん畑と、その向こうに海、そして島が見える風景は絶景。
また島内を軽トラで移動し、今度は家へ。
定住しているわけではないけど、生活できる家と、手作りのゲストハウスがあった。
また、媛っこ地鶏という愛媛の鶏をたくさん飼われていて、
この地鶏の肉は、比内鶏や名古屋コーチンなんかと比べ物にならないくらい美味しいのだそう。
鶏を飼う環境は我家と似ているけど、もっと自由で快適そうだった。
赤穂根島は地権者が200名以上いるそうで、その多くは幽霊地主。
自分の土地を見たこともない人がほとんどらしく、
借りるにしろ、売ってもらうにしろ、大変なのだそうだ。
なので、無人島とはいえ、島全体を利用する事が出来ないらしい。
都会に住む幽霊地主は、土地を利用してもらう方が荒れないという事を理解してはくれず、
売るにしても馬鹿みたいな法外な値段を吹っかけてくるそうで、
地主なら権利を主張するだけじゃなく、
土地の維持管理という義務を果たして欲しいとおっしゃっていたが、本当にそのとおりだと思った。
赤穂根島を後にし、岩城島の果樹試験場に連れて行ってもらい、
その後、野営しやすそうな公園で降ろしてもらってMさんとお別れした。
早速テントを張り、夕焼けの美しい岩城港や島々を眺めていると、再びMさんがやってきて、
なんと晩飯を一緒に食べようと誘ってくれた。
Mさんの奥さんと共に、昼にも言った「よし正」へ。
たくさんのお酒と食事をご馳走になり、すっかりお世話になってしまった。
Mさんは日本の農業の行く末を心配しており、
農協が農業をダメにしていると強くおっしゃっていた。
確かに、特定の分野にのみ力を入れ、大規模化と効率化を進め、
小規模農家や自給自足的農家を相手にしない農協のやり方は、間違っているのかもしれない。
私自身、農協のあり方に疑問を抱くところも多く、
そういう組織の職員であり続ける事は出来ないという思いもあって退職を決意したわけだし、
本当にこれからの人達に魅力ある農業というものを伝えようとしているのか、
そしてそういう農業の担い手を探そうと努力しているのかいつも疑問に思う。
学校教育において、自分が将来農家になりたいと思えるような教育をしているのか。
実際のところ、その選択肢すら与えられていないのが実態だろう。
自分自身、農家になりたいとは思えど、農協のひいたレールには乗りたくは無い。
日本の食料自給率が40%を切るという事態がどれほど深刻か、危機感を政府から感じられない。
海外に食糧供給を頼るという事は、独立国として日本が存在できない事を意味する。
食糧供給を盾に、属国のような形でしか存在出来なくなるのはとても残念だし、日本滅亡を意味する。
農業の基本は自給自足であり、その余剰を売って利益にするのはまさに理想だと思う。
残飯や雑草を家畜の飼料にし、家畜の糞尿を堆肥化して畑に還元する。
無駄のない農業、環境に配慮した循環型農業をする事を、もう少し考えた方が良いのではないか。
機械化し、大規模化しても、結局は海外の規模には及ばないし、
農業の基本である土地や水を汚してまで、集約的農業をする事は本来ありえないのだ。
農業は自然の恵みを糧にしているわけで、その自然への感謝と還元なくして成り立たないと思う。
それを考えれば、やはり無農薬有機農業へと行き着いてしまうわけで、
自分の手の届く範疇で、自分なりのこだわりを生かした農業が魅力的であり、
そのこだわりを殺してしまう農協のやり方には、やっぱり反対する人も多いのだろう。
今回、FさんとMさんに出会い、
農業を「農」と「業」に分けて、改めて考える事が出来たように思う。
テントに戻ってからもずっと考えてしまい、眠る事が出来ず、ついに徹夜してしまったのだった・・・。