前日の夜7時過ぎに出発し、夜通し車を走らせて朝の3時半に倶知安町に到着した。
周りはまだ暗く、さすがに疲れて眠かったので、倶知安駅に車を停めて仮眠を取った。
とはいえ、寒いのもあって1時間くらいしか寝れず、朝6時くらいまで時間をつぶす。
今回の旅にあたって分刻みの旅行計画書を作っている(今回に限らないけど)。
今回は特に体力的にきつい計画を立てたわけで、6時には車を始動させたのだった。
まずは倶知安の市街にあるよしのみ商店(サンクス)にはニセコワインが置いてあって、
お土産も含め、共和町の葡萄を使った限定醸造の赤ワインを数本買ってみた。
6:30、よしのみ商店を後にして、共和町の神仙沼へ向かう。
今回は共和町の土地を見せてもらうのが主目的であって、待ち合わせを8時にしていたため、
間に合わなくなると、片道1.5kmほどの散策路を駆けて周ってきた。
小雨の降る神仙沼はとても美しく、また、展望台から見る共和・岩内町の景色もまた最高だった。
神仙沼を後にして、今度は待ち合わせ場所である小沢駅へと車を走らせる。
途中で見る紅葉はまさに見頃で美しく、小沢の駅前へ抜ける裏道はとても情緒があった。
小沢駅にはちょうど8時に到着、そこにはすでに売ってもよいという土地を所有する地主さんが。
早速、挨拶もそこそこに、現地へと向かう。

その土地とは、小沢駅から国道5号線を跨いで反対側、駅からの距離にして2km程度の山だった。
あるようでないような道なき道を車で登っていく。
かなりきつい道だけど、そこはさすが愛車パジェロ君、ガンガン登ってくれる。
着いた所は小高い丘(山)の上。
両側を小川に挟まれた約20ヘクタール程度の山林で、一部雑草地もあった。
天気の良い日であれば羊蹄山を臨み、ロケーションはなかなか良い。
この土地を買うことになるのかどうかは分からないけど、まあ値段次第だろう。

9時、地主さんと別れ、隣町の岩内町へと向かう。
岩内町の道の駅(たら丸館)にて岩内地ビールやらたら丸キーホルダーを買った。
岩内町は人口1万6千人程度で、事前にインターネットで調べたとおり、結構都会だった。
後志支庁のある倶知安町より若干人口も多く、今まで訪れた事がなかったけど、
共和町も岩内町もすごく素敵な町だった。
なにせ稲作が盛んな町なので、田や果樹を見てると、故郷の景色を思い出させてくれるのだ。
今度は再び共和町に戻り、日本のチーズ製造の先駆的存在であるクレイルへ。
設立者である西村さんは、1961年にフランスに渡り、
フランスの国家資格「乳製品発酵技術」を所得。
フランス国立農学院研究所で7年間の研究生活を終えた後、日本に帰国し、
共和町の丘の上にノルマンディーチーズのクレイルを設立したそうな。
当時、日本ではナチュラルチーズというものはまったく認知されていない時代であり、
しかも都市部ではなく、誰も住んでいないようなところで起業するのはすごい事だったと思う。
こうしてこそナチュラルチーズは普及した今、
クレイルの、西村さんの、功績は非常に大きかったのかなと想像した。
再び倶知安町に戻り、「はれる屋」でカレーを食べて、倶知安駅へ。
駅に車を停めて、今度は鉄道に乗るのだ。
12:20、倶知安駅を発車した列車は、小沢駅、銀山駅、然別駅、仁木駅、そして余市駅に到着。
最終的には小樽駅まで行くが、余市駅で途中下車し、ニッカウヰスキーを見学しに行く。
ニッカウヰスキーの創始者であり、日本のウイスキーの父、竹鶴政孝。
スコットランドで学び、ウイスキー醸造に情熱を燃やし、
帰国後の昭和9年、そのスコットランドに気候風土が似ているという事で辿り着いたのが余市町。
彼が日本で最初にモルトウイスキー造ったのだ。
ニッカウヰスキー余市蒸留所は見学無料なだけじゃなく、
原酒の試飲もできるし、土産物屋や喫茶店なども敷地の中にちゃんとあり、見所も多い。
歴史を感じさせる重厚な建物と、薄暗い独特の雰囲気を楽しみつつ、見学させてもらった。
歴史あるものは良い意味で重みがあり、風格が漂っていた。
15:00、余市駅にて再び鉄道に乗り、蘭島駅、塩谷駅、小樽駅と通過して、南小樽駅で下車。
本日のお宿は「坂の上館」というコテージ。
ここは1日限定1組の宿で、小樽の街並みを見下ろせる高台に建ち、値段も高くはない。
昔の別荘を改築したものらしく、中の家具なども立派だった。
宿に荷物を置いて、夕方の小樽の町を散歩する。
有名な北一硝子などのお店をのぞき、運河を歩き、
「小樽倉庫No.1」という地ビールレストランへ。
季節限定のビールFest(フェスト)は香り高く美味しいビールだった。

宿へ帰る途中、「マルコポーロ」というイタリアンレストランでピザをテイクアウト。
部屋に戻って、窓からの美しい夜景を眺めながらの贅沢なディナーとなりました。
この日、日ハムが日本シリーズ4勝1敗で中日を下し、見事44年ぶりの日本一に。
北海道移転3年目の快挙、ファンの心を掴み、ファンと一体化した結果だと思う。
選手が野球を楽しみ、そしてファンを楽しませる努力をしてきたこと、
選手だけじゃなく、関係者全ての努力が結実し、
札幌ドームは満員、そして日本一へと上り詰めたのだから、これはすごい事だ。
今年で引退する新庄が語っていた夢は実現したわけで、
語った夢を形にする事がいかに大切であるか、みんなが分かったんじゃないだろうか。
コツコツと前向きに地道な努力をすれば、いずれ何らかの結果がでるもの。
新庄はチャラチャラしているように見えて、そういう事をきちんとやっていたという事だろう。